稲葉一鉄、氏家卜全と共に西美濃三人衆の一人として知られる安藤守就は、ここ美濃北方で天正10年にかつての同僚である稲葉一鉄によって滅ぼされた。美濃北方城主であった守就ははじめ土岐氏、斎藤氏に仕えていたがその後織田信長に仕え、信長の美濃攻略や姉川の合戦で功があった。しかし天正8年に嫡子尚就が甲州武田氏に内通した嫌疑をかけられ、信長の勘気を蒙り武儀郡谷口村(現・関市)に蟄居した。その後信長が本能寺の変で横死すると、旧領回復を目論み北方城で蜂起したが、当時守就の旧領を預かっていた稲葉一鉄の軍勢に攻められ北方合戦において敗北し、この地で戦死したと伝えられる。
現在の戦死地には石碑と説明版が立っており、岐阜県の重要文化財に指定されている。上の写真を見てわかると思うが、まるで民家の庭な場所にあり、さらにここまで行くのに狭い路地の民家の軒先を抜けていかなければならないため、ここを訪れる際は注意が必要である。また、この戦死地のすぐ南には現在は廃止された名鉄揖斐線の線路があり、廃線前は電車の車窓からこの石碑を見ることが出来たであろう。廃線路を歩けば(ただし廃線路には立ち入り禁止と書かれている)別だが、とにかくわかりづらい場所にあるためここを訪れる場合は根気良く探していただきたい。また、近隣住民に不審者と間違えられないように注意したい。
現地への看板はこれ一つ。 しかも細い路地に立っている。 |
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現地説明版。 奥の駐車場の向こうは比較的広い道路。 ただしその広い道路からはわかりづらい。 |
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戦死地のすぐ南側を走る名鉄揖斐線の廃線路。 廃線になっていなければここへのアクセスも 容易であったことだろう。 |
所在地:岐阜県本巣郡北方町北方
入場料:無料
最寄り駅:樽見鉄道 北方真桑駅
*岐阜県指定重要文化財
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