姉川古戦場


 国道365号線を関ヶ原から木之本方面へひた走ると、途中でさほど大きくはない川を渡る。その川こそが姉川であり、まさにその一帯が戦国史に名高い姉川合戦のあった場所である。江北の勇将・浅井長政との同盟を足がかりに越前制圧を目論んだ信長だったが、越前侵攻中に長政が反旗を翻したため有名な金ヶ崎の退き口を秀吉に任せ、命からがら京に逃げ帰ることとなる。それからわずか数ヵ月後、怒り心頭の信長が家康との連合軍をこの地に進めた。一方、朝倉家との古くからの誼で信長を裏切った長政もまた、今度こそ信長を討ち果たさんと朝倉との連合軍でそれを迎え撃った。
 元亀元年(1570年)6月28日の早朝、この河原で浅井長政乾坤一擲の大合戦が幕を開けた。織田軍13段備えの11段までを突破されるという大激戦は、その日の午後には徳川軍の奮戦により浅井・朝倉連合軍の敗走という結果になった。この合戦をきっかけに浅井家は急速に力を失い、数年後には滅亡の運命をたどった。
 合戦直後には両軍合わせて2,500以上の死体が累々と河原を埋め尽くし、川の水が赤く染まったと伝えられる場所だが、それから400年以上たった現在は、のどかな田園風景の中に姉川の流れが静かに横たわっており、とてもそんな大激戦があった場所とは思えない。真冬の平日は国道も車が少なく、当時と現在のギャップの大きさに思わず立ち尽くすしかなかった。ここからすぐ下流には血原と呼ばれる場所があるが、それは前述の川が血に染まったことからついた名だという。ともあれ小谷城から数キロのこの地での勝敗が、信長と長政の義兄弟の運命を決定付けたことは間違いなく、それだけに非常に感慨深い場所であった。

古戦場の石碑から見た姉川。
中央の橋は国道365号の野村橋。
この橋の向こう側が血原。
現地案内板。
丁寧な解説や各陣の配置図がうれしい。
石碑裏から対岸(南方)を望む。
当日は対岸に織田・徳川連合軍が
ひしめいていた。

INFO

所在地:滋賀県長浜市野村町
入場料:無料
最寄り駅:JR北陸本線 長浜駅または虎姫駅 (両駅から5km以上離れているので徒歩ではお勧めしません)


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