十九条城は瑞穂市の西部を流れる犀川の東側にあったとされる。織田信長の美濃攻略に際し、墨俣の砦だけでは手薄と感じた信長が、西美濃への抑えとして築いたようだ。城主には一族の織田勘解由左衛門信益を置いたが、信益はその後の軽海の戦いで討ち死にしており、その際にこの十九条城も消失したとされる。説明版のこの説明を見れば、どうやら十九条城は築城から消失までが短い期間であったと思われる。現在は津島神社となっている。
案内板のある津島神社の北側には、妙に幅の広い水路がある。位置とその幅から十九条城の堀ではないかと思われるが、ただの水路か犀川氾濫時の名残なのかもしれない。ただ、古くからある集落の中に突然幅の広い水路が現れるのは非常に不自然に思えたので、個人的にはぜひ堀であってほしいと思う。
問題の幅の広い水路。 訪れた日は夏休み真っ盛りで、 近所の子供たちがザリガニなどを獲っていた。 |
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津島神社境内にある案内板。 詳しい解説が嬉しい。 |
所在地:岐阜県瑞穂市十九条
入場料:無料
最寄り駅:樽見鉄道 十九条駅
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