佐々木源氏の分流で、北近江守護職を務めた名族・京極氏の居館があったのが、伊吹山の麓にある上平寺一帯である。背後の山頂には詰城の上平寺城があり、戦時は上平寺城に、そして平時には麓のこの上平寺館に京極氏とその家臣団が暮らしていた。また、西隣の山には広大な寺域ゆえに百坊の異名を持ち、戦時には城郭としても機能した弥高寺がある。この上平寺館は近江守護職の京極氏の本拠地として京極高清によって整備され、大永3年(1523年)の家臣団のクーデターによって廃されたといわれている。現在は広域農道から少し上がった山中の緑に隠れてはいるが、往時は居館跡の南には先述の農道をはさんで城下町、家臣屋敷が広がっていたのである。上平寺館跡には弾正屋敷跡、蔵屋敷跡をはじめ京極氏屋形跡、庭園跡まであり、突き当たりの伊吹神社の横には京極氏一族の墓もある。その伊吹神社横の道を上がっていくと上平寺城跡にたどり着く。上の写真は内堀と思われる水路南より、二ノ御門付近を撮影したものである。屋形跡や庭園跡はこの奥である。庭園跡には今も多くの石列が残り、素晴らしい石庭であっただろう往時が偲ばれる。地元の方々によって刈り払いが行われ、良く整備された遺跡ではあるが、事前情報では熊、ヒル、スズメバチに注意とあったため、真夏に一人で訪れた時は無駄に慎重になっていた。おかげで草むらへはできるだけ踏み込まないようにしたため、写真はあまり良いものが撮れなかった。
この遺跡はかつては地元の住民さえあまり近づかなかった場所だったが、地元有志たちによって整備され、今では地域のまちづくりの大きなファクターとなっている。庭園跡では毎年「戦国浪漫の夕べ」というイベントが行われるほどになっており、地域住民と遺跡が上手く共存している。他の自治体、地域でもここを手本としてほしいものだ。
屋形跡にある説明版。 古絵図を交えてわかりやすく書かれている。 |
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庭園跡遠景。 右奥の奇岩が見事。 |
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伊吹神社入り口。 階段下の道を左に行くと上平寺城への 登山道になっている。 舗装されているのはここまで。 |
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京極氏一族の墓。 京極高清の墓もここにあったが、 今は菩提寺である徳源院に移されている。 |
所在地:滋賀県米原市上平寺
入場料:無料
最寄り駅:JR東海道本線 柏原駅または近江長岡駅
(両駅から3km以上離れている上に、かなり山の中なので徒歩では無理です)
*国指定史跡
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