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 前回のぷらり旅を終え、自宅で地図を広げてみればまだ見ぬ史跡の数々が呼んでいるような気がした。2007年2月1日、いまだ無職の俺は再び車を西へと走らせた。今日は関ヶ原のほかの史跡と、時間次第で滋賀県の湖北地方を訪れてみようと思っていた。

 まずは関ヶ原の島津義弘陣跡へ。国道365号を左に入ると、そこは古くからあると思われる住宅地。当然道は狭い上に、民家が道ぎりぎりに建っていたり民家の石垣が迫っていたりと、普通乗用車ではなかなか厳しい道。しかも管理人の車は3ナンバーなので、ひたすら対向車が来ないことを祈りながらゆっくり進んでいく。どこかに案内板はないものか、と探していくと小さな案内板を見つけ、その指示通りに右折・・・しようとするが、道が狭いうえに結構な鋭角。切り返しながら曲がりましたとも。更にその狭い道を進んでいくと、突然住宅が途切れて田んぼのあぜ道のような状態に。まぁこれなら民家に突っ込むこともなかろうと少し進むと、左の森のような場所に○に十字の島津家の幟が立っているのを発見。車を停める場所がないので、しかたなくあぜ道に路駐。交通量はまったくないので大丈夫だろうと思い、これまたあぜ道を通って幟の立っている場所へ。そこには大きな石碑と説明の書かれた看板などが建っていたが、これまた民家の敷地の眼の前。よその家の畑から10メートルくらいの距離。畑では白菜ができてました。そんな感じで民家と木立に囲まれているため、東軍方面や三成のいた笹尾山方面は見えなかった。

島津義弘陣跡から、あぜ道に放置された愛車を望む。
この写真は方角的に西を向いて撮影。

 続いて、島津陣跡から程近い開戦地へ。先ほどのあぜ道を南に進むと駐車場が見えてくる。その駐車場の入り口も鋭角に曲がらないといけなかったため、何とか切り返して車を停めた。公園だかグラウンドだかがそばにある開戦地にはこれまた石碑が一つと、関ヶ原参加武将たちの幟が。この開戦地と島津陣跡の中間あたりに小西行長陣跡があった。

島津陣跡から開戦地へ。
まさに車一台分のあぜ道を進む。
右手は開戦地の駐車場だが、ここへ入るにも前方を鋭角に右折しなければならない。

 開戦地を見た後、今度は別のあぜ道を進んで国道へと戻る。すると左手に神社があり、島津家の幟が立っているではないか。しかも駐車場完備。どうやら俺は裏から回ってしまっていたようだ。その道を進むと裏手へ回り込んだ原因がわかった。それは住宅地の中で、先ほどの道と今の道がT字路になっているのだが、この道は先ほどあまりに狭く曲がれないと判断してスルーしていた道だったのだ。ということは、この狭いT字路を曲がらないと国道へは戻れない。迫る民家の石垣にこすらないよう気をつけながら、何度か切り返して国道へと戻った。今後関ヶ原のこういった史跡を訪れる人たちにアドバイスしたい。

普通乗用車(特に3ナンバー)で来ると大変です。
バイク、自転車、軽自動車で来たほうが楽です!
特に軽トラを強くお勧めします!!軽トラ最強!!


 そんなこんなで国道へ戻ると、また時間は早いのでそのまま西へと向かう。伊吹山の麓を抜ければそこは滋賀県、近江国である。国道から農道へ入り、走り慣れた山道を抜ければそこは長浜市。旧浅井町である。再び国道365号に合流すると、すぐ南にある姉川へ。そう、姉川合戦のあった場所だ。しかし、地図を頼りに行ったのだが、その地図にだまされたと気づくのは後のことである。ともかく地図を頼りに姉川と平行に走る田んぼの中の道を行くのだが、どうも堤防周辺は公園を作る工事をしていてそれっぽい史跡などが見当たらない。仕方がないので工事中の堤防下の道へ突入すると、姉川合戦の際におびただしい死傷者の血で川が赤く染まったということを書いた説明版を一枚だけ発見。車の中からそれを見て、そのまま工事中のダートを走ってなんとか国道へ復帰。なんとも拍子抜けだった。

古戦場近くの国道沿いにあった看板。
ピンボケで読みづらいのだが
「浅井の里にお越しくだされ ありがたく存じ候」
とある。
奥に見える橋は姉川を渡る野村橋。
国道365号を北へ。
正面左の山は大嶽で、その手前に小谷山がある。

 そのまま国道365号を北へ。しばらく行くと右手に小谷山城址が見えてくる。ここは帰りに寄ろうとそのまま北進していくと、右手になにやら看板を発見。なんと脇坂安治の生誕地があるというではないか。これはまたマニアックなスポットを見つけてしまったもんだ。どうも右折らしいので、帰りに寄ることにして更に進んでいく。その先琵琶湖の手前に賤ヶ岳があるのだが、そこも右折のため後回し。自民党風に言うと先送り。奥琵琶湖ドライブインに三成の地酒があったことを思い出し、とりあえずそれを買おうと賤ヶ岳をトンネルで抜けて琵琶湖へ。目的のドライブインにつくと妙に人気がない。冬だから仕方ないかと思ってよく見れば「冬季営業休止」。なんと。やられた。仕方がないのでトイレだけ借りた。駐車場に佇んでいたバイクのにーちゃんも途方にくれた感じだった。

 なんだか無駄足だったなと思いつつ、来た道を戻る。トンネルを抜けて左に入れば賤ヶ岳の入り口に続く道だ。賤ヶ岳リフト乗り場へ分かれる交差点に赤色灯をつけたパトカーが停まっていた。入り口封鎖かと思ってよく見ればそうではなく、交差点には小学校があり、ちょうど下校時間。児童たちを変なおじさんから守るためにそこにいるのだ。そんな時間にリフト乗り場へ上がっていこうとする怪しげな岐阜ナンバー車を、パトカーの中からポリスマンがじぃーっと見つめておりました。あらぬ疑いの視線を感じながらリフト乗り場に到着すれば、まったく無人で寂しい限り。切符売り場には「冬季運行休止」の張り紙。またやられました。どうりでポリスマンも怪しむわけだ。仕方なく再びポリスマンの視線を感じつつ、帰宅する児童たちの列に混じって賤ヶ岳を後にした。

無人の賤ヶ岳リフト乗り場駐車場。
日も陰ってきて切なさに拍車をかける。

 予定していた2ヶ所がやっていなかったため、まだ時間に余裕がある。せっかくだから小谷山にでも車で突入してみるかなどと思いながら車を走らせて再び湖北町へ。そういえばさっき来る途中で脇坂安治生誕地があったことを思い出し、寄ってみようと先ほどの看板を探す。小谷山の北あたりでそれらしき看板を発見し、よく見てみるがどうも様子が違う。なんと小谷城址の看板ではないか!そんなはずはないと、通り過ぎながらその看板の裏をミラーで確認すると、確かにさっき見た脇坂安治生誕地の看板。北から来る人には安治生誕地を見せたくないのかなどと思いつつUターンして戻ってみる。今度こそ、と思いながら看板をじっくり見るとそこにはありえない記述が。

「手前角右折」

もう通り過ぎたわっ!


仕方がないので再びUターン。

なんなんだ安治よ。お前の実家は人に見せられないのか。
とかなんとか思いつつやっと角を曲がると、そこはさっきの関ヶ原級の狭い道。しかも、数件の民家の脇を抜けると片側に用水路のあるまるで林道のような道に。杉の枯葉が積もる道を恐る恐る進めば、少し開けた場所に着いた。そこが脇坂安治生誕地。どうやらここに脇坂氏の屋敷があったらしい。安治の産湯を汲んだ池もあり、金魚が寒そうに泳いでいた。しかも、武者のイラスト入り看板には脇坂安治とともに浅井亮政の名も。浅井亮政といえば、あの浅井長政の祖父にあたり、近江浅井家中興の祖ともいわれる人物だが、なぜ亮政と安治の生誕地が同じなのかは調べてみる必要がありそうだ。また、ここから山中に伸びる山道があり、看板に「大嶽城址 1850米」とあることも手がかりになりそうだ。かなりマニアックなスポットを苦労して発見した喜びに浸りながら、再び狭い道を国道へと戻った。

俺を翻弄した問題の看板。
国道365号を北から来ると、ただの小谷城の案内。
その看板を南から。
右下部に最大の問題点がある。
人騒がせな問題点の部分を拡大。
走行中の車からこの文字を確認した時には
すでに曲がるべき角を通り過ぎている。
その問題の手前角を右折するとこんな道。
ここも軽トラでの訪問をお勧めする。

 未知のスポットを発見した達成感と、看板に翻弄されたやるせなさを感じながら小谷城へ。安治の実家から程近い。あの問題の看板によれば約2キロだそうだ。以前一度麓の登り口まで来たことがあるが、その時は嫁と一緒だったので上までは行かなかった。今度こそと思いながら麓へ向かうと、道沿いに工事車両が多い。道の拡張工事だと思っていたが、登り口まで行って愕然。「松喰虫被害樹木伐採のため通行禁止」。なんてことだ!ここまで肩透かしを食らうとは。恐るべし冬の湖北路。確かに記録的暖冬で普段雪に閉ざされるはずの湖北にまったく雪がなく、そのおかげでこうしてぷらりと出来ているわけなのだが、雪もなくてこう暖かいと冬季休業とか言ってる場合じゃないよなどと思いながら、駐車場でしばし呆然としてみた。どうやらもう笑うしかなさそうだ。史跡を見れない、土産も買えないとなってはほんとどうしようもない、と思いながら再び車を走らせた。国道を岐阜に向かって走りつつ、先ほどの姉川に架かる橋を走っていると左手に「姉川古戦場」の文字が。なんとっ!?どうやら俺は地図にだまされていたようだ。地図上では古戦場は野村橋の西なのだが、見えている古戦場はどう見ても橋の東側。驚いている間にも車は進んでいくので、そこは改めてリベンジを誓いながら撮りすぎた。途中で土産を買う場所を思案していると、たしか伊吹のあたりにドライブインがあったはず、と思い出す。国道から農道に向かうと、記憶の通り確かにドライブインはあった。が、「本日定休日」。木曜定休だそうだが、今日は見事に木曜日。もはや奇跡に近い。今日はなんという日だ! でも、となりの伊吹そば屋はやっていたので、そこでそばを買うことができた。一件落着。

 なんだかんだで冬の湖北路に翻弄されっぱなしの一日だったが、こうもいろいろ起こると楽しくて仕方がない。またこのわくわく感を感じるために再訪を決意しながら帰路を急いだ。

余談
 後日、友人に問題の看板の写真を見せて説明したところ、妙なツボにはまったらしく爆笑していた。その日一日は「手前角右折」という言葉は彼を笑わせるスイッチになっていた。


追記
文中姉川古戦場の場所を地図にだまされたとあるが、地図どおりの場所も血原という姉川古戦場である。
勝手に勘違いして勝手にだまされたと一人で騒いでおりました。すまぬ。


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