間島太閤山跡は羽島市の北西に位置し、天正12年(1584年)の小牧・長久手の合戦後、豊臣秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めにした際に本陣を置いた場所である。竹ヶ鼻城の水攻め自体あまり知られていないが、小牧・長久手の合戦で敗れた秀吉が、伊勢の織田信雄を攻める前哨戦となった合戦である。竹ヶ鼻城に立てこもった不破源六以下700余りの兵に対し、秀吉は10万余騎をもってこの地に侵出、長さ約2.6kmにも及ぶ堤を築いて竹ヶ鼻城を水攻めにした。秀吉は竹ヶ鼻城を包囲している間に、家康・信雄を後詰としておびき出そうとしたという説もあるが、結局竹ヶ鼻城は1ヶ月足らずで開城し、不破源六は伊勢の信雄のもとへ落ちていったという。
現在は長良川の堤防近くの田園地帯にぽつりと小さな山が残り、そこには神社がと石碑があるのみである。
神社下にある石碑。 石碑自体はわかりやすいところにあるが、 この小山が史跡だと知る人は少ないだろう。 |
所在地:岐阜県羽島市福寿町間島2丁目53番地
入場料:無料
最寄り駅:名鉄竹鼻線 竹鼻駅
*羽島市指定文化財
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